遺言 元公証人からのつぶやき

公証人とは

公証人とは、簡単に言えば、主として遺言公正証書などの公正証書を作成する専門家です。

裁判官や検察官のOBが公証人になっていることが多いです。

この公正証書というのは、公証人でなければ作成することができません。

公正証書とは、一般的に信頼性の高い書類とされていて、遺言書もこの公正証書で作成することができる訳ですね。

各都道府県には必ず公証役場という公的な機関が設置されていますが、公証人はこの公証役場で仕事をしています。

私は、この公証人の仕事を長年してきました。

そこで、数多くの遺言書を作成する中で、いろいろと感じるところがありました。

そうした感想を少しまとめてみましたので、是非、ご覧下さい。

遺言に踏み切れない方へ

私がその公証人時代に相談を受けた中に、遺言の大切なことは分かっているが、なかなか実行に踏み切れない、そうした人に何度も出会いました。

その理由についてお尋ねすると

① 私のところは遺言するほどの財産はありませんので。

② まだまだ元気ですから、もう少し先にと考えています。

③ 遺言で財産の行く先を決めてしまうと、自分の物ではなくなる気がして寂しくなるから。

というのがほとんどでした。

こうしたお気持ちも分かりますが、実はこれらの理由はいずれも遺言制度の誤解からきています。

まず、①ですが、財産の多い少ないは遺言の必要性にほとんど関係がありません。

例えば親としては、自分の葬式代くらいは若い者に負担を掛けないよう農協と信金の通帳に預けてあるから安心だと思っていたとします。

殊に地方に行けば行くほど、これら金融機関の窓口では、「遺言がなければ相続人全員の印鑑を押してください。」という対応がされますから、親が亡くなった直後に、その通帳からお金を下ろしに行っても、拒否されるケースが多発しています。事実上の預金凍結が起きます。

そうなると、お通夜とか葬式の準備から納骨までの一連の費用は、遺族の誰かが立て替えないと何もできません。

「それで困った家が近所にあったので、遺言書を作って貰いに来ました。」という人に、何回も出会いました。

ですから、自分の葬式を滞りなく、しかもスムーズに挙行してもらいたい方は、財産が多いとか少ないとか考える前に、自分の親族が預金の引き出しに困らないような遺言を書いておくべきです。

しかも、遺言書で葬儀代は遺産から支出して下さい、と書いておかないと、葬儀代は喪主が自腹を切ることなってしまいます。

次に、②ですが、遺言は元気なうちにしておくのが最良です。

体が衰弱してくると気力も衰えます。お迎えが間近に迫ってからでは、判断能力も減退しているかも知れません。

臨終直前では遺言が無効になることもあり得ます。やはり、判断能力が正常な時の遺言は、内容もしっかりしています。

何年か経って遺言に不都合な箇所が起きた場合は、遠慮なく遺言の書き換えをすればいいのです。

健康な人でも、いつ何が起きるか分かりません。そのような万一の場合に備えて、自分の財産の一番ふさわしい行き先を、自分の考えで指定することができるのが遺言の制度です。これを利用しない手はないと思います。

更に、③ですが、遺言は遺言した本人が生存中は、何の効力もない単なる紙切れです。

そのため、遺言しても遺言者本人の財産は、本人が誰にでも、いつでも自由に処分できます。株の売買も相場を睨みながら、どのような銘柄の株を売ろうが、どの株を買おうが、自由です。

遺言書に書いた財産が、遺言者の死亡時に他人に譲渡されたりして相続財産に属しないときは、当該財産についての遺言部分が効力を生じないだけの話です(民法第996条)。

空振り防ぎの予備的遺言

次のような遺言があるとします。

「① A市に所在する土地建物を甲に遺贈する。

② もし相続開始時に甲が死亡していたときは、甲に遺贈するとしていた土地建物を甲の長男乙に遺贈する。」

この中で②の部分が「予備的遺言」と呼ばれるものです。

財産を受け取ってもらいたい本命の者(甲さん)が、遺言者より先か又は遺言者と同時に死亡することも考えて、そのような場合に本命さんの代わりに当該財産を分け与えたい者を指名し、遺言が空振りになるのを防いでおくのが予備的遺言です。

裁判所は、遺言者が死亡した時点で本命さん(甲さん)が既に死亡している場合、本命さんに相続させ又は遺贈するとしていた財産は、本命さんの相続人(例えば子)に承継させるという遺言者の特段の意思が、遺言書の記載から認められない限り、当然には本命さんの子に受け継がれるものではないと判断しています。

すなわち、予備的遺言までしておかないと遺言が空振りに終わり、本命さんに行くことになっていた財産は、一般原則に戻って法定相続財産の一部に取り込まれます。

予備的遺言、是非、活用して下さい。

付言事項は遺族へのメッセージ

遺言書には、違法にわたる事柄でない限り何を書いても自由です。

そのため、遺族などに対する遺言者からのメッセージを書き残すことができます。

それが「付言事項」です。

法的効果は発生しませんが、付言事項の記載ひとつで遺言者の真意が遺族に正しく伝わります。遺族の間で余計な争いが起きないよう、付言事項の記載を大いに活用することをお勧めします。

では、付言事項にはどんなことを書けばいいのでしょうか。結論から言いますと、遺言者が遺族など関係者に書き遺しておきたいことを書いておけばいいのです。公証人としての経験では、付言事項の種類には、おおむね、①遺言の動機・理由を書いたもの、②遺族への感謝を述べたもの、③遺族に託する希望を述べたもの、などがあります。

法定相続に近い遺産分けの遺言では必要ないかも知れませんが、一人だけに偏った遺産分けをするとか、ほかの兄弟姉妹より極めて少ない遺産を受け取る子が生じる遺言の場合は、なぜそのような遺言をするのか、その理由ないし動機を遺言書の中で切々と訴えておきます。たとえば、「娘のA子には結婚に際してマイホームを建ててやるなど、親として既にそれ相応の財産の先渡しをしてあるので、遺言では残る遺産を兄や弟に厚く渡るようにした次第である。」などです。

また、遺言者を陰から支え、励ましてくれた配偶者への感謝の言葉があります。家業を手伝い、弟や妹たちが人並みに教育を受け、社会人に育つまで自分の望みを犠牲にしてまで、父に尽くしてくれた長男への感謝。

更に、年老いた母(遺言者の妻)に孝養を尽くし、兄弟姉妹がいつまでも仲良く、困ったときには助け合い、嬉しいときには喜び合える気持ちを大切に、みんな健康であれと祈りつつ、この遺言をしたためる、などがあります。

おおいに活用しよう相互遺言

夫婦が互いに、自分の遺産を配偶者に全部相続させる内容の遺言をし合うことがあります。

これを「相互遺言」と呼んでいます。

とくに子のない夫婦の場合、例えば夫が死亡すると、妻が全部を相続できるのではなく、夫の親とか親が死亡していれば夫の兄弟姉妹も相続人になります。残された妻が夫の遺産をそっくり相続できるためには、「妻に財産全部を相続させる。」という遺言をしておく必要があります。妻から夫への相続についても同様です。

そこで、こうしたケースでは、夫婦が互いに相互遺言を作っておく必要が高いわけです。

なお、相互遺言をする際も、予備的遺言を活用すると、遺言の空振りを防ぐことができます。例えば、「全財産を妻に相続させる。もし、遺言者より先に妻が死亡したときは、遺言者の全財産を妻の妹に遺贈する。」などです。

ただし、注意しなければならないのは、夫は夫の遺言書で、妻は妻の遺言書で、それぞれ別々の遺言書を作る必要があります。

民法は、「二人以上の者が同一の証書で遺言をすることができない。」(第975条)と定めています。いくら夫婦円満でも遺言だけは連名が通用しないことを、知っておいてください。

自由な撤回遺言

遺言は、いつでも自由に撤回したり変更することができます。

家族構成が変化したとか、子たちの親に対する孝養ぶりが変わったなど、いろいろの事情が変わることもあります。そんなときは、現時点で一番いいと思われる遺言に書き直せば、後に書いた遺言が遺言者の最終意思として有効になります。ですから、一度、遺言をしたからといって、遺言者がその遺言に縛られることは全くありません。

これはアドバイスと言えるかどうか疑問ですが、公証人時代にどうもヘンだなと思われる遺言の撤回にでくわしました。

ある男が妻ではないA女にマンション一室を遺贈する公正証書遺言を作りました。そのマンションにはA女が住んでおり、男の住所は別の所です。それから、3か月後、その男は「都合により、前の遺言を撤回する。」という内容の遺言撤回公正証書を作りました。

うがった見方をすれば、男は彼女の歓心を一時的に買う目的で公正証書遺言を作ったのかも知れません。そして、彼女を安心させておいて、内緒で前の遺言を撤回し、彼女にはマンションが残らない仕打ちをしたとも考えられます。あるいは、本当に彼女との縁が切れたので、前の遺言が不都合となって撤回したのかも分かりませんが、真相は薮の中です。

遺言公正証書と証人

遺言公正証書を作成するときは、立ち会いの証人が2人以上必要です。証人の役目は、遺言する人の供述が正しく公正証書に書かれていることを確認して、遺言者とともに署名・押印することです。証人は成人に達していれば誰でもなれますが、推定相続人やその配偶者・直系血族など遺言者と身近な関係者は、証人になることができません。

実は、公証役場で遺言の手続きをするとき、遺言者が一緒に連れてきた人が身内の者だったりして、証人になれないケースがあります。

証人になってくれる人に心当たりがなくても大丈夫です。公証役場では、そのような場合に備えて、近所の司法書士など時間が空いていれば証人として駈けつけてくれる候補者を何名か確保していますから、「証人は公証役場でお願いします。」と申し出れば用意してくれます。


弁護士 高橋 寛(たかはしゆたか)
弁護士 高橋 寛

元検事(名古屋地検交通部長、札幌高検公安部長、同刑事部長歴任)、元公証人、愛知県弁護士会人権擁護委員会、子どもの権利委員会