弁護士 松波克英

弁護士 松波克英(まつなみかつひで)
弁護士 松波克英
(まつなみかつひで)

弁護士

生年
1959年7月
出身大学
東京大学
弁護士登録
1985年4月
元・現職
宗教法学会理事、元法務局人権擁護委員、元名古屋家裁調停委員
モットー
前進、また前進
特に経験・関心のある分野
不動産、借地借家、相続、倒産・交通事故、宗教法人、墓地

著書(いずれも共著)

判例消費者取引法
交通事故判例百選第4版
交通事故損害賠償算定基準
名誉毀損・プライバシー
Q&A墓地・納骨堂の法律実務
Q&A宗教法人をめぐる法律実務
宗教法各号に掲載(各年の宗教法判例のうごき〔私法〕,日本国内・宗教法関係文献目録)
『空き家・空き地をめぐる法律実務』(新日本法規)

主に従事してきた分野

民事事件(交通事故、借地借家(立退き)、遺産分割、破産・民事再生、
不動産(登記)、労働災害)を中心にして、様々な分野の仕事をしてきました。

経歴

1、昭和34年7月3日,一宮市生まれ。
一宮市 山下病院で出生(当時は産婦人科がありました)

2、昭和38年9月
一宮幼稚園に入園(年少から途中入園)
暇そうにしていたために,急に入ることになりました。
今は夜中に並んで願書を出す必要がありますが,当時はおおらかで,すぐに入れました。

3、昭和41年4月
一宮市立神山小学校に入学
小学校から50mのところに住んでいましたが,当時は小学校の西の道が校区の境界線でしたので,越境入学でした。
小学校6年生の時に,末広小学校ができて,校区の再編成が行われ,晴れて越境入学でなくなりました。

4、一宮市立中部中学校
歴史好きで,当時のNHK大河ドラマ「春の坂道」を見て柳生新陰流の剣術にあこがれ,剣道部に入りました。
中学3年生の時に,社会科の先生から弁護士の仕事の内容を聞いたり,アメリカのラルフネーダー弁護士が公害問題等で活躍している話を読んだりして興味を覚えました。

5、愛知県立一宮高等学校
今でこそ,全国有数の東大進学校になりましたが,当時は学校群制度があって,今ほどレベルは高くなく,のんびりしていました。
現在は,4年に1回学年の同窓会が行われていて,それを楽しみにしています。

6、昭和53年4月 東京大学教養学部文科1類入学
最初は杉並区に下宿していましたが,途中で目黒区に引っ越しました。

7、昭和55年4月 法学部に進学

本格的に司法試験の勉強を始めました。
同級生の有名人は,大村秀章愛知県知事,片山さつき参議院議員,赤城徳彦元衆議院議員、黒田武一郎総務事務次官などです。赤城君、黒田君は同じクラスでした。

8、昭和57年10月 司法試験合格
当時の合格者は500人程度で狭き門でした。

9、昭和58年4月 司法研修所入所
当時は修習期間が2年間あったことと,だいたい卒業できたので,のんびりしていました。
進路については,裁判官を考えていましたが,途中で,法律に縁が遠く,それによって困っている人々のために,身近な存在としてお役にたてるような仕事をしたいと考えて,弁護士になることとしました。

10、昭和60年4月 名古屋弁護士会に弁護士登録
旭合同法律事務所に入所,弁護士としての第1歩
サラ金,破産,離婚,交通事故,消費者被害,立退き,相続など,日常生活に密着した法律問題を中心に仕事をしてきました。
依頼者の方に最もよい解決を一緒になって獲得していく,ということを意識しながら仕事をしています。
宗教法学会にも所属しており,宗教に関わる裁判などにも何件か関わってきました。宗教法学会では理事,文献委員として,毎年の宗教法関係の判例をまとめてコメントしたものを,「宗教法」という雑誌に掲載してきました。

我が母校一宮高校は令和元年に創立百周年を迎えました(大正8年・愛知第6中学開設)。
百周年記念誌の編集者から求められ、昭和50年代の卒業生を代表して「あの素晴らしい歌をもう一度」と題し、思い出を寄稿しました。
今も高校の近くを通ると、あの頃の歌が自然に頭の中を流れてきます。「命かけてと誓った日から…」。
当時のフォークソングはプロテストソングと言われ、社会への抗議を歌にしたものが多く、その影響で社会への問題意識をもち、弁護士を志す契機ともなりました。
社会に出てからは時間がなく、音楽と接する機会は限られてしまいましたが、あの頃の素晴らしい歌を時々口ずさみながら、自分の原点に返って目前の課題に取り綢んでいます。

弁護士 松波克英からのご挨拶

名古屋で活躍する弁護士 松波克英の動画でご挨拶です